コラム③いのちに合掌
- nisshinji
- 6月13日
- 読了時間: 2分
いのちとはさわれないもの・たな心で触れて敬う・いのちは不変であって形が変わるだけ
「永眠」ではなく死者は生きている姿を思い浮かべて生者を励まし続ける
身体は滅びるがいのちは輝き続ける。永遠に不滅です。松井さんはこれからも野球界をお導き下さいとの弔辞。
関西万博の「いのち」は世俗的な価値観。ユダヤキリストイスラムはいのちは循環しない。生者の行為によって死後のいのちが決まるのではなく、神が予め決めている。
生物学的ないのちと社会的ないのち
生物学的には人は自然を媒介している。微生物と経存。微生物なければ人は生きれない。ウイルスも共存。人のいのちは生命誕生からずっと繋がっている。=人は死なない。それを価値観にする。久遠のいのち。ルカ細胞。40億年前に産まれた一つの細胞から産まれた。皆細胞兄弟。日々生きているのは久遠のいのちをいただいているのを確認しているだけ。死は意識がなくなるのが怖いのではない。子孫に託す。しかし現代はそれが珍しい。先祖祭祀は難しい。永遠を考えるときは大きないのちに帰って行く。人との付き合いに残っていく。安心を求めれる。
社会科学・いのち輝けない人・生きたくない人。そこにボランティアの傾聴。宗門が関わるべき。いのち輝かない人に目を向けて。アンパンマンの菩薩像。正義が変わった。変わらない正義は飢えている人にパンを与える。かっこいいヒーローは嘘だ。自分が義成になって傷つくことがかっこいい。
人形供養・針供養・判子開眼は日本独特。あらゆるものに感謝の念をもつ。
樹木崇拝はフィンランドなど北欧には土着。妖精が森に住んでいる。キリスト教より以前。クリスマスはもみの木崇拝から。精霊。
昔は土葬。循環。身延はいのちに満ち満ちている。宗務院いのちに合掌。祖山共生共栄。
行脚大きい声。草木にも届く。
名詞のいのちとアクションの合掌。内に地涌の菩薩の自覚をもち、外に不軽菩薩の振る舞いを。地球は一家でお互いに但行礼拝。法華経には47カ所の合掌。ご遺文では合掌以敬心欲聞具足道の合掌を引用。
他人を欺いてはならない。が宗教の根幹。しかし最近の新興宗教の中にはそうではない場合。それによって信仰にはリスクがあるという悪いイメージが。
人口減少の現代。縮充の仏教に(縮小するが充実する)
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